ツイッターでサッカー選手の誹謗中傷してたアディダス店員て実名で色々ブログとかやってた所為でこんな事になっちゃったんでしょうか?だとすれば、こんな過激な事してネットで実名・顔出ししてれば、 こうなるのも予想できそうなものですが・・・。

これは本人の不徳の致すところといってもいいですか? 補足 自由報道協会のHPを見ると詳しく分かりますよ


http://twitter.com/fpaj

http://fpaj.jp/

http://fpaj.jp/news/

東京電力、4月15日に全原発が停止

http://www.nikkeibp.co.jp/archives/242/242082.html

東京電力の勝俣会長はTV・新聞・一部週刊誌などマスコミ(記者クラブ)と中国親善旅行に行ってた

田中龍作ジャーナル

http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/193425035.html

http://twitter.com/tanakaryusaku

回答

この女は、ネットでこうすればどうなるという以前に、やって良い事と悪い事の区別がついていなかっただけです。
この区別が付かない奴は、いくらネットの危険性を承知していたとしても、こうなります。

叩かれるような事をやっている自覚が無いのですから、ネットが危険であることは知っていても、それが危険だとは思わないと。
叩かれるような事をやっている自覚があれば、流石に実名ではやってない筈。

これは京都大学のカンニング事件についても言えることですが、「人によって考察力は違う」ということと「考察できるかどうかとするかどうかは違う」という問題点があります。


質問者様にとっては、このようになることは容易に想像できますよね? しかし、世の中の人皆がそうできるわけではありません。そもそもブログの使い方なんて学校では習わないことが多いです。習っていたとしても、恐らくは「情報」の時間、受験に使わない「いらない科目」という認識を持つ生徒も多いです。また、単に教科書に書いてあることの字面(例:「情報の発信には注意が必要」)だけを覚えて、それがブログに書き込むことと関係があると思えないこともあります。つまり、知識として定着していなかったり、定着していても今回の例と関係があると見抜けなかったりする可能性もあります。


また、例えば受験数学の問題は「考察力が必要だ」といわれることがあります。そして「考察力が必要な受験を突破しているのにどうして今の大学生には考察力がないのか」という人がいます。しかし、これは受験問題を解くときに、考察力を使おうとして使っているからとけているだけの話です。試験でもない日常生活で考えているとは限りません。要は、考えようと思わなければ考えられない、という事態が起こり得るわけです。


質問者様は私の回答を読んで「いちいち『考察』なんて大げさだな」と御考えかもしれません。しかし、先にも述べたように、皆がそう思うわけではない、ということを御理解下さい。



アディダス問題は、結果としては本人のミスです。が、このような問題を起こらなくさせるだけの教育システムも必要だと私は思います。

不徳というか頭がええだけの世間知らずでしょう。

(yahoo!知恵袋より)