政治的なことだからでしょうか。 いまの日本人はともかく、欧米を覗いてみると、騙される民衆が多いのではないかと思います。例えば、原発反対!とかなんらかの政治的社会的なことで誰かがネットとかで呼びかけてすぐにその呼びかけに参加したりする人が多いように思うのですが、憶測なので勘違いなのかなと思うこともあります。日本ではすぐに軽くのる人もいるけれども、大半は冷ややかな目で見たりする人が多いような気がします。政治的なことだからでしょうか。あなたから見てどう思いますか。主観的な意見になってもかまいません。

回答

民衆が単に踊らされている、と見るのは表層的すぎると思います。

ご存知かどうかわかりませんが、アメリカの有名なシンガーのビリー・ジョエルの
曲に"We didn't start the fire"という曲があります。

その曲のサビの部分で彼は下のように歌っています。

火をつけたのは俺たちじゃないよ (We didn't start the fire)
それはいつでも燃えていたんだ、だって世界に常に変化し続けているから
(it was always burning, since the worlds' been turning)

歴史上、なにか大きな変化が起きたとき、それは特定の
誰かがこれこれのことをしたから、その動きが広がり、こう変化した。
という見方もできますが、多くの場合は、変化を求める社会の空気
というのは、爆発性のあるガスのように、徐々に社会のなかですでに
充満して、あとはなんらかの火花が散るのを待つだけ
の状態になっている、ケースの方が多いと思うのです。

表面上、安定していた社会が、ネットやtwitterのひとつのつぶやきが
きっかけになって、大暴動に発展するのは、単に流されているのでは
なく、そのつぶやきは、すでに多くの心のなかの不満やわだかまりとして
存在していて、だけど、それを声に出して言えない何らかの抑止力が
働いている状態が解き放たれた瞬間です。

簡単にいえば「はだかの王様」の話にある展開です。

もちろん、勘違いのケースは、大きな動きには発展しません。
また、フランスのように国民性として、結構ささいなことでも暴力的なデモ
につながる国もあります。

私は海外で生活した期間が長いのですが、海外からみると
日本人は政治的な行動がおとなし過ぎる国に分類されるでしょう。

もしかして、質問者さんが「政治的なこと」をネガティブにとらえているのでは
ないかと、むしろ危惧してしまいます。

自分の住んでいる国で、「間違ったことが行われているのではないか」
「物事がフェアにすすんでいないのではないか」という問題意識が
あった時、「それを変えよう」「正しい方向に向きを変えよう」と考える
のはすべて「政治的なこと」ですが、これはなんら悪いことではありません。

むしろ、行動で示さなければ、心の中でいくら不満をもっていても
何も変わりません。冷ややかな目でみている人は、あとで何か悪い
ことが起きたとしても、文句を言う権利はない、というのが私の意見です。

(yahoo!知恵袋より)